『身から出た錆(みからでたさび)』を辞書で調べると「刀の錆は刀身から生じるところから、自分の犯した悪行の結果として自分自身が苦しむこと」と出る。とどのつまり、"現状は自らの選択が招いた結果であり、全ては自己責任というところに集約される"ということなのだろう。
僕は今、故郷から遠く離れた場所に住んでいる。元々、出不精で学生時代は殆ど外に出ずに自室に籠もって過ごすタイプだったが、あるとき日々の生活がルーチンになっていることに気付き、これに嫌気が差して家出するように外に出た。すると、今までに見えなかった世界が見え、これに俄な楽しみを覚えて故郷に帰ることはなくなった。以後、僕は一定の場所に定住することなく、住処も仕事も転々と変えていく根無し草のような人生を送っている。
現代人の多くは「人生の雛形」ともいえるような決まった形の人生を送ることを理想としている。要するに、出生後は自分の周りの人間の影響を受けながら教育され、就職して定年まで労働しながら社会的な奉仕をする。その間に恋愛・結婚を経て家庭を作り、また子孫を続けながらこれを繰り返していく。
僕はこの"雛形に自ら背いた生き方をする人間"に当たるワケだけども、こういう人生を選んだのはそれなりに信念があってのことだ。しかし、レールから外れた生き方をすれば"それ相応のリスク"も覚悟しなければならない。若ければ良いのだが、年を追うごとに"それ相応のリスク"が生活に顕著に影響してくる。
例えば、特定の組織やコミュニティに属すことがないため、年に関係なくそれらの中ではいつも新人という状態になる。また、収入においてもベースアップは存在せず、契約に則った賃金および期間の中で就労を終えることになる。つまり、いつまで経っても社会的に不安定な生活を送ることになるワケだ。その反面、正規雇用で家庭持ちの人よりも自由な時間が多く、出費に関しても選択の幅が広い。もちろん出費を抑えるという選択肢を取ればそれだけ貯蓄もできる。
今はある意味良い時代で庶民にも"一定の選択の自由"が保障されている。また、思想的な人生の雛形もあるため、思考が苦手な場合はこれに則った人生を過ごせばよい。嫌ならばこれに背いて、自分なりの生活パターンで生きればよい。いずれにせよ、この選択の権利を行使して得られた結果は自己責任に帰結する。
さて、冒頭の『身から出た錆』に話を戻そう。このことわざは悪い結果を言い表すときに用いられるようだが、人生経験というのは良くも悪くも情報という名の人生の糧に昇華させることができると思う。自分の経験則から思うに、成功した経験よりも失敗した経験から得られることの方が多いような気がする。
また、先に挙げた"雛形に自ら背いた生き方をする人間"というのは、往々にして大分類的なコミュニティの輪から阻害されていくワケだが、レールから外れた人生を送ってる分、一般的によく知られていない情報を知っていたり、奇抜な発想を備えていたりすることから、言動に興味をそそられることが多い。
僕もそうした偏屈な人間であることを自覚している。また、あらゆる出来事のメモを取っておくといった変わった趣味も持っている。そこで、今までのメモを見直して自分の経験から得た体験談をネット上にアップロードしておくことで、誰かの役に立つこともあるのかも知れないと思った。
これが本ブログを立ち上げた動機であり、自己紹介を兼ねたこの文をブログ開始の第一声としてここに書き残しておくことにする。
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