パチンコ・パチスロ依存症になってみた結果(症状編)


以前の記事にも書いたが、今の僕は深刻なパチンコ・パチスロ依存症である。

そこで、依存症の真っ最中でなければわからない依存症の症状について、ここにまとめて書き残しておこうと思う。


依存中の症状


浪費癖がつく



「サンドに入れれば価値を忘れる」

まず、ホールでパチンコ・パチスロをプレーするにはレートにかかわらず最低でも千円(紙幣)が必要になる。紙幣を入れた後はカードやコインに入っているクレジットを消費して玉を借りることになる。

どのレートでも千円で諦める人は少なく、一旦紙幣を入れてしまえば全て使い切ってしまう人が多いだろう。なお、4パチ20スロになれば一万円紙幣を入れてプレーすることが基本なので、当たらなければ一万円を使い切ってしまうことが多い。

こんな感じで紙幣を投入する癖がついてしまえば、紙幣をサンド(貸出機)に入れることに抵抗がなくなる。そして、この感覚は日常生活にも波及することが多く、普段の買物においても財布の紐がゆるくなってしまうと思われる。

僕は一応、月々家計簿的なものをつけているのだが、これを見返してみるとパチンコ・パチスロに依存する前と後では全く異なる。なお、僕はどちらかといえば倹約家で、自販機でジュースを買うことですら躊躇するタイプだ。

しかし、今はホールに行くたびにジュースを買うし、勝っても負けてもビールなどの酒類とおつまみを買う。その上、プレイ中のタバコの本数も増えて、昨今タバコが高騰しているにもかかわらず、気づけば消費量が増えている。

また、パチンコ・パチスロの勝敗の定義も経験が増えるほどシビアになっていく。例えば、依存する前は1000~3000円程度の勝ちでも全然満足できた。しかし、大勝を覚えてからは最低でも5000円以上勝たないと納得がいかない。

そのため、出玉的に3000円程度勝っているとしても、さらなる出玉を追って持玉を投資してしまい、勝っていたのに気づけば負けているといった状況が多くなる。加えてチョイ勝ちから追った上に追加投資を重ねて大敗するといったケースもある。

つまり、経験豊富になっていくほど満足いく結果の基準が厳しくなるのである。すると、投資は増えるが回収が減っていくといった傾向となり、必然的に回収できる機会が減っていく。

また、大勝した時はあぶく銭として散財してしまうケースも多く、この場合も回収した金は手元に残らないため、結果として「浪費」していることになる。こうしたことから、依存するにつれて明らかに「浪費癖」がついていることが分かる。

酒の消費量が増える



「勝てば祝い酒、負ければヤケ酒」

パチンコ・パチスロに依存し始めてからビールをよく飲むようになった。これは個人的なことなのかも知れないが、周りのパチンカー&スロッターも総じて酒好きで、聞いてみてば勝っても負けても飲酒することが多いようだ。

パチンコ・パチスロのプレイ結果には基本的に勝利か敗北しかない。すると、勝利した時は祝い酒、敗北した時はヤケ酒という名目で飲酒するになり、その度合によっても消費量が変わっていく(僕の場合はこれに当てはまる)。

タバコの消費量が増える



「台に灰皿はつきもの」

パチンコ・パチスロにはタバコが付きものである。今は社会が嫌煙ブームなので、ホールによっては禁煙コーナーもあるわけだが、それでも台の横には基本的に灰皿を設置しているホールがほとんどである。

僕は喫煙者なのだが、パチンコ・パチスロに依存し始めてから明らかに消費量が増えた。これは、パチンコ・パチスロのプレイ中に感情の起伏が起こりやすいためであり、これを抑制するのに鎮静作用のあるタバコが欠かせないからである。

さらにプレイ中には喫煙するタイミングが多く、当たろうがハマろうが気持ちを落ち着かせるためにタバコへの手が止まらなくなる。その結果、僕の場合は約4~5時間程度のプレイにつき1箱程度は消費してしまう。

プレイ欲求によって集中力が落ちる



「ホールに通えば人変わる」

パチンコ・パチスロに依存すると、日常的に思考に雑念が生じることが多くなった。その結果、プレイ欲求によって集中力が落ち、うわの空で人の話を聞き流していたり、仕事中に大小様々なミスを頻発するようになってしまった。

また、フリーな時間もプレイの攻略情報やプレイ動画を見ることが多くなり、非生産的で無意義な時間を過ごしてしまうようになる。さらに生活も不摂生になり、考え方も無計画で行き当たりばったりのような感じになった。

なお、依存が深くなってからはアプリでもプレイするようになり、仕事の休憩時間をはじめ、仕事帰りにホールでプレイした後も寝るまでアプリでプレイするようになった。その結果、睡眠時間も少なくなるので思考力低下の悪循環が始まる。

その影響は著しく、家族や同僚からは直接「人が変わったようだ」といわれる始末である。つまり、今は周りからはパチンコ・パチスロに依存するアホだと見られており、きっと評価も地の底に落ちていることだろう。

日常的に無気力・無感動になる



「気力も感情も尽き果てる」

パチンコ・パチスロに依存してからというもの、日常的に身体のダルさを感じるようになった。また、どんな文章を読んだり、どんな映像を見ても感動が薄くなり、日々の出来事に対しても無感動で喜怒哀楽を感じることがなくなったように思う。

当然、これは日々のコミュニケーションにも影響するため、一般論的な観点から見ればただ事ではない状態なのだろう。だが、それでも焦ることはなく、日々のルーチンの一部として今日もホールに向かってしまうのである。

また、今はプレイにも慣れすぎて演出によって当選の期待度が分かってしまうため、よほどの連チャンが来ない限り、当たってもハズレてもなんとも思わなくなった。よって、依存することで感情的にも深刻な悪影響があることが分かる。

精神状態がプレイ結果に左右されるようになる



「台を見て現実を見ず」

パチンコ・パチスロのプレイを重ねるにつれて分かったのだが、大勝している時や大敗している時は興奮できるものの、プレイしている時以外は基本的に憂鬱であり、さらに負けが込んでいる時は死にたくなるほど落ち込みが激しくなる。

最近は負けが込んでいるので日常的に楽しみを感じられることなどなく、「自分はもう勝つことがない」とは「負け続けるならこのまま消えてしまいたい」などと思っていることが多い。しかし、その要因はくだらないゲームの結果である。

俯瞰から見れば大したことではないのだが、のめり込んでいる時はそれが全てであり「結果によって人生が左右されるのでは?」と思ってしまうほどの精神的なダメージがある。

反面、プレイ中は日常の問題などを全てそっちのけにできる。プレイ中の頭の中は「当選濃厚のプレミア演出の発生祈願」や「今日は勝って帰れる」などのいたって楽観的なものであり、当たっていれば日々のストレスをチャラにできる。

このように深く依存してしまうと、まるでたちの悪い麻薬のように心身に深刻な悪影響が及ぼすことになる。

借金癖がつくことがある



「あぶく銭は身に付かず」

僕がパチンコ・パチスロに依存する前は、これに依存している連中に借金を頼まれることが多かった。彼らは4パチ20スロを日常的に打っており、「金がない」「金貸して」と口癖のように言っているタイプの人間である。

また、彼らは毎月のように借金を頼んでくるので、きっと借金することへの罪悪感や劣等感は一般的な感覚よりも低くなってしまっているのだろう。なお、当時は借金を断って「パチンコ止めたら?」と諭すのが常であった。

今の僕は負けが込んでいるものの、基本的に低貸でプレイしているので借金するほどの金銭的なダメージはない。しかし、4パチ20スロに換算すれば借金を頼みたくなるほどの精神状態になるのかもしれない。

また、最近ではキャッシングが簡単にできるようになっているので、財布や口座の金がなくなったら、サラ金の無人契約機で借り入れするといったプレイスタイルも多いらしい。

備考


パチンコ・パチスロ依存のまとめ


上記の依存の症状についてまとめてみると、以下のような害があることが分かる。

・金銭的なダメージ(浪費癖・借金癖がつく)
・時間的なダメージ(実機・アプリでプレイすることによる無意義な時間を過ごしてしまう)
・心身的なダメージ(無気力・無感動・憂鬱感が生じる)

依存が深くなればなるほど、自分の金銭・時間・心身にダメージを与える人生にとっての悪因となる上に、借金などで他人に迷惑をかけてしまう可能性が高まるため、社会的に孤立してしまう危険性もある。

だが、嗜む程度にパチンコ・パチスロをプレイすることで、気晴らしをしたり、コミュニケーションを円滑にしたり、若干の小銭を稼げたりするので、依存しない程度にプレイするのならばメリットもあるのかも知れない。

しかし、深刻なパチンコ・パチスロ依存であると自覚している人は、今すぐ自分自身を見つめ直して生活を正すことをオススメする。なぜなら、現在進行系で依存している僕にとっては害悪以外の何者でもないからである。

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